「浅川」散歩 第2回 陵南界隈
すっかり晩秋ですね。今回の浅川散歩は「いちょう祭り」「南浅川橋」「古道橋」という切り口でお送りします。
甲州街道のイチョウ並木は11月に色鮮やかになります。
この時期に「いちょうまつり」が開催されて、多くの人出で賑わいます。
このイチョウ並木は、昭和2年の大正天皇陵の完成にともない、宮内省によって植えられました。
イチョウは世界最古の樹種で「生きている化石」とも呼ばれるそうです。
日本には中国から伝来したとされ、(諸説ありますが)その時期は室町時代あたりだとされています。
鶴岡八幡宮のイチョウの影に隠れた公暁が将軍・源実朝を暗殺する場面が思い起こされますが、これも近年の研究から俗説であるとされているようです。
イチョウは、その実を食用や薬用にできることもあったのでしょう、しばしば寺院に植えられました。
近年は、病害や虫害に耐性が強く、大気汚染や火災にも強いことが知られるようになり、しだいに街路樹として植えられることが増えてきました。
昭和51年に「市の木」に制定されたイチョウ。
甲州街道のイチョウ並木も見事ですが、私は南浅川の川べりのイチョウが好みです。
晩秋の低い西日を受けたイチョウを眺めるために、夕暮れどきを選んで散歩しています。
南浅川を歩いていると、いくつもの橋に出会います。
そのなかでも、ひときわ目を引くのが「南浅川橋」です。
コンクリートのアーチ橋で、荘厳そのもの。
この橋は、昭和11年に多摩御陵への参道として架けられました。
当時は、中央線に「東浅川仮停車場」という臨時駅がありました。
この駅は、昭和2年に開設され、多摩御陵での葬儀などの際に、皇室の方々が利用されていました。
昭和35年に廃止され、跡地には「陵南会館」として活用されていました。
ところが、平成2年にテロ事件の標的とされて焼失。たいへんショックでした。
さて「南浅川橋」、私が物足りないと思うのは、その名称です。
これだけ立派な橋なので、たとえば「陵南橋」、あるいは「御陵橋」というような名称がよかったように思います。
その後、高尾街道の橋に「陵南大橋」と名付けられましたが、本家はこちらだと思えてなりません。
南浅川橋の一つ上流にあるのが「古道橋」。
ここでいう「古道」とは、鎌倉街道のこと。
鎌倉幕府の御家人たちは、ひとたび有事となれば「いざ、鎌倉」と鎌倉街道を駆け上りました。
鎌倉から関東各地に伸びていた鎌倉街道ですが、高尾にも、その一つが通過していました。「山の根の道」がそれです。
国分寺から所沢方面に抜ける「上道」を、いまの町田あたりで分岐して、高尾から青梅方面に、線形的には今の町田街道+高尾街道が近いです。
では、坂東武士たちの時代から、ここには架橋されていたのかというとそうではなく、架橋されたのは平成に入ってからのことでした。これは意外でした。
もちろん、ここは水深も浅いので、武士たちは馬で乗り入れて渡ってしまったのでしょう。
それにしても、この橋がない状況が想像もつきません。
私も散歩の途中、しょっちゅう渡ります。交通量もとても多いこの橋がなかったなんて信じられません。
昭和55年の航空写真で調べてみたら、たしかにありませんでした。対岸も舗装されていませんでした。
近隣の方々にとっては、この古道橋で生活が大きく変わったことでしょうね。