今回は南浅川をたどって「裏高尾」へ。「駒木野庭園」「小仏宿」「猪ノ鼻トンネル」を探訪しました。
西浅川交差点を右に折れると、いかにも旧街道といった道幅になります。そう、ここから旧甲州街道に入るのです。
まもなく左手に、風情のある日本家屋が見えてきます。「高尾駒木野庭園」です。
ここは元々、隣接する「駒木野病院」の元となる「小林医院」の院長の自宅でした。
現在は、八王子市に寄贈されて、無料で自由に見学することができます。
日本家屋と枯山水。昭和初期までの日本の裕福な家屋のたたずまいです。
これに池泉回遊式庭園が付属しているところが駒木野庭園の魅力です。
心字池には錦鯉が群れをなしています。越後山古志産とのこと。
草花の時期ではありませんが、そのぶん盆栽は見事は目を引きます。正直なところ、今まで、あまり関心がありませんでしたが、駒木野庭園で盆栽に開眼しました。
あと2ヶ月もすれば「梅郷」の名にふさわしく、近隣はウメで満開になります。
春から夏にかけて、ツツジ、アヤメ、ザクロ、夏から秋にかけては、ハス、オミナエシ、モミジなどが園内を彩ります。こんなお屋敷で暮らしてみたいものです。
「関所」といえば「入鉄炮出女(いりでっぽう・でおんな)」。
「入鉄炮」とは、江戸に鉄砲などの武器を持ち込むこと、「出女」とは、人質となっている大名の奥さんが江戸から脱出することを指しています。
関所は、幕藩体制を支える重要な役割を担ってきました。
とりわけ「小仏関所」は五街道の一つ、甲州街道の要衝として重視されてきました。
ついでながら、関所は時代によって役割が異なりました。戦国時代までの関所は、今でいえば、高速道路の料金所のような位置づけでした。
土地の支配者が通行料を徴収していたのです。
それを廃止したのが織田信長。楽市楽座と関所の撤廃で、経済を活性化しようとしたのですね。
こんにち小仏関跡は、往時の面影を偲ぶことはできません。でも、兵どもが夢の跡。それも含めての歴史の味わいですね。
さらに旧甲州街道をくだっていくと、「湯の花トンネル列車銃撃慰霊碑」が目に入ります。碑は真新しく、近年建立されたようです。
ここから山道を上がっていくと、中央本線の踏切を渡ります。
湯の花(いのはな)トンネルは山側にあるレンガ造りのトンネルです。私は訪れるたびに黙祷することにしています。
昭和20年8月5日の正午過ぎ、中央本線の下り列車は満員の乗客を乗せながら、小仏峠へゆっくり登っていくところでした。
そこに襲来した米軍艦載機P51数機が繰り返し銃撃。死者52名、負傷者133名という途方もない被害をもたらしました。
一般の乗客を狙った無差別銃撃は、国際法にも反する人道上の大問題です。いくら戦争中とはいえ、あまりの酷さに胸の悪くなる思いです。
毎年、この日には慰霊祭が行われています。高尾駅に残された銃痕も含めて戦争の悲惨さを思わずにはいられません。