「浅川」散歩 第1回 水無瀬橋
ウォーキングの折り返し地点は「水無瀬橋」です。
ここを通るたびに思うのは「なぜ、水の無い瀬なんだろう?」ということ。
水無瀬橋のあたりは、わりあい水量が豊富です。
陵南公園付近の南浅川は、しばらく雨が降らないと、すぐに川底が見えてしまいます。でも、水無瀬橋付近が干上がったのは、見たことがありません。
調べてみると、こんな言い伝えがありました。
弘法大師が、この地を訪れたとき、喉の渇きをおぼえました。
そこで、一軒の家で水を所望したところ、応対した老婆は「そこの川の水でも飲みな」と追い返したというのです。
しかたなく川の水で渇きを癒やした弘法大師は、おもむろに念仏を唱えてから、河原を杖で突いて立ち去りました。
すると川の水がすっかり消えて、水の無い瀬となってしまいました。
この物語に、私は3つの違和感をおぼえました。
1つは、当時、飲み水はふつうに川の水が用いられていた点。
2つ目は、弘法大師は真言宗の開祖。念仏は唱えないのではないか、という点。
3つ目は、お婆さんも弘法大師も、あまりにも意地悪過ぎるという点です。
さらに調べを進めてみると、この一帯は砂礫層――つまり流れが地下に消えてしまいやすい土地であり、江戸時代には、すでに「水無川」とよばれていたということがわかりました。
となると、さらに疑問が生まれます。それは「石州土手」の存在です。
石州土手とは、江戸時代初期の八王子の代官・大久保長安が築いた堤防です。これは、水無瀬橋あたりから上流にかけて築かれました。
長安は「石見守」でした。石見(いわみ)は「石州」。そこで石州土手と呼ばれていたのです。
当時の浅川はときどき洪水を起こしていたので、大掛かりな治水工事が必要だったのです。
浅川が氾濫を起こすとは、いまでは想像もつきませんが、当時はそれなりの水量があったことがわかります。
あるいは、この石州土手によって、水流がスムーズになって水量が減ったという可能性もあります。
こんなことを考えながら、南浅川を歩いてみるのも楽しいものです。
この時期、水無瀬橋のたもとにある水無瀬公園のコスモスはきれいですよ。