多摩の盟主・八王子。
近年、立川に追い上げられているものの、今でも23区に次ぐ人口、多摩地区第1位の商業規模、奥多摩町に次ぐ面積。どれをとっても、堂々たる存在感は変わりません。
私は八王子に暮らして、まもなく半世紀になろうとしています。このままいくと、一生八王子から出ることがないまま人生を終えそうです。でも、それに十分見合うだけの魅力がこの街にはあります。
その魅力を、趣味の歴史散策を通じて、ご紹介して参ります。
今回は「八王子市」の総論。教育、歴史、交通、商業、自然、気候、防災・治安、芸術・文化という切り口で語りたいと思います。
クイズ形式にしていますので、皆さん考えてみてくださいね。(はちまる先生)
■【多様な教育】不登校特例校は、全国に●●校ある。
八王子は長らく「学生の街」として知られていました。1970年頃から、大学の八王子移転が加速し、全盛期には、23の大学、短大、高専に11万人以上の学生が学んでいたということです。
最近は、大学の都心回帰が進んだせいで、学生数が減ってきて、学生向けのアパートなどでは空き部屋が目立つようになってきました。学生による活気は減退したものの、アカデミズムの余韻は市内に残されています。
たとえば図書館。
八王子市では、2003年から「読書のまち八王子推進計画」をスタートさせ、「朝の読書」など、とりわけ子どもたちに向けた読書推進に力を入れています。
また、小泉内閣による構造改革特別区「不登校児童・生徒のための体験型学校特区」に認定され、2004年4月、小中一貫校である市立高尾山学園が開校しました。同校は全国で24校、東京都で8校しかない「不登校特例校」の一つとして、ユニークな教育がほどこされています。
さらに、市立小学校・中学校に学校選択制度が導入されており、小学校では指定校と隣接校から、中学校は市内全域のすべての学校から、通学する学校を選択することができます。これによって、自分に合った学校に越境通学する児童も出てくるようになりました。ちなみに、うちの子も越境通学していました。
★というわけで正解は「24」でした!
■【多摩の盟主】「八王子市歌」は●●●●による作詞。
八王子は明治時代、神奈川県だったことをご存知でしょうか。それには、さまざまな背景がありますが、一つには横浜との結びつきの深さが挙げられます。
この時代、外貨の稼ぎ頭は生糸。生糸は群馬の桐生や山梨方面から八王子に集められて、通称「浜街道」を通って横浜港に出荷されていました。八王子は、生糸の一大集積地だったのです。これが「桑の都」と呼ばれるゆえんです。
八王子の小中学校に通っていれば耳にしたことがある「八王子市歌」。これが、あの北原白秋作詞、山田耕筰作曲だとご存知でしたか?(私は知りませんでした)
さて、この市歌の冒頭は、つぎの通りです。
黎明響高く 桑の都 風は光れり
八王子 旺んなり機業
三番まで、冒頭には「桑の都」とあるように、ここにも「桑都」としての誇りを見て取ることができますね。
生糸が集まれば、絹織物が盛んに生産されます。
平成の初めころまで、はJR八王子駅北口に白いタワーが立っていて、そこには「織物の八王子」と大書されていました。今そこにはペデストリアンデッキができています。その「マルベリーブリッジ」の「マルベリー」は絹という意味。「桑の都」の精神が今も息づいています。
★というわけで正解は「北原白秋」でした!
■【交通の要衝】京王八王子駅は、開業時「●●●●駅」だった。
八王子の中心地は、今の「元八王子町」でした。ここは、北条氏の八王子城の城下町でした。豊臣氏によって北条氏が滅ぼされ、関東一円が徳川氏の領国になると、八王子の中心は移転されることになりました。
「新しい八王子」は、現在の八王子中心部。ここは代官所が置かれ、かの大久保長安が甲州街道の整備や浅川の治水工事などに辣腕をふるいました。
明治になり、鉄道の時代を迎えます。八王子には1889年には、早くも鉄道が開通しました。日本最初の鉄道が新橋・横浜間に開通した1872年からわずか17年後のことです。ここにも八王子の重要性が見て取れますね。
さらに八王子駅からは、西に向けては中央線が山梨方面が延伸しました。南には、1908年に横浜線(当時は横浜鉄道と言いました)が東神奈川駅まで開業しました。これは八王子に集積された生糸を横浜港に送ることを主目的とした鉄道でした。
「京王線」が京王八王子駅まで開通したのは1925年のことです。当時は玉南電鉄の駅で、駅名も「東八王子」でした。
八高線はだいぶ遅れて、全線が開通したのは1934年。これによって、現在の八王子駅をめぐる鉄道交通網が完成しました。
★というわけで正解は「東八王子」でした!
■【大規模店続々】昔、「オクトーレ」は●●●●●●●だった。
1983年11月、八王子駅ビルが開業しました。当時「ナウい」という言葉が流行っていて、駅ビルの名称は「ナウ」になるのではないかと噂されていました(じっさい、その通りになってびっくりしました)。
ナウのメインテナントである「そごう」は、既存の百貨店を一掃しました。「大丸」「伊勢丹」「西武」が相次いで閉店。大丸は「FAM」、その後マンションに、伊勢丹は長らくレストランが入っていましたが、今は別のさまざまなテナントが入る商業ビルに、西武は「やすらぎの湯」になりましたが、いまは休館のようです。
その「そごう」も、2012年に閉店し、「セレオ」に引き継がれました。
駅前の「八王子オクトーレ」も開業当初は「東急スクエア」と言いました。その前は、雑居ビルで、ゲームセンターやモデルガンのお店があったことをうっすら記憶しています。
南口は、駅前に八百屋さんがある、のんびりとした雰囲気でしたが、一気に開発が進み、「サザンスカイタワー八王子」は今や八王子のランドマークです。
郊外にも、2000年開業の南大沢の「三井アウトレットパーク」などの大型ショッピングセンターがいくつも出現していますが、近年では、高尾の沖電気跡地にできた「イーアス高尾」と「スーパーバリュー」が特筆されます。
高尾在住の私は、これによって、それまで八王子駅界隈まで行かなければならなかった買い物が高尾で完結でき、とても便利になりました。
2025年には、八王子インター近くに「イオンモール」が開業するそうです。
★というわけで正解は「ゲームセンター」でした!
■【日本遺産】高尾山には、世界一の登山客数。年間約●●●万人。
自然といえば、やっぱり高尾山でしょう。年間登山客数は約300万人で、これは世界一とのことです。2007年に「ミシュラン」で三つ星評価を得たことで、観光客が激増。それまで閑散期には休みになっていましたが、通年営業するお店が目立つようになりました。
私はよく山頂まではリフトで昇り、下りを歩くのが好きでしたが、一気に外国人が増えて、よく道を聞かれて困りました(英語、苦手なんです…)
2020年には「日本遺産」にも認定されました。文化庁の「霊気満山 高尾山」ウェブサイトをチェックしてみると、滝に打たれて、法螺貝を吹いている行者さんは、よく知っている方でした(笑)
高尾山を起点とし、東海自然歩道、関東ふれあいの道、奥高尾縦走路などのハイキングコースが充実しています。通勤前に登山してくるという猛者の知り合いもいます。そんな山歩きが好きな人には最高のエリアです。
水辺の自然も素晴らしいのが八王子。私が好きなのは小仏峠の麓から高尾駅にかけての「高尾梅郷」。中央本線の電車や貨物列車が行き交うなか、南浅川の渓流をおりてくる道は、本来の甲州街道でした。古道の風情も味わえるコースです。
★というわけで正解は「300」でした!
■【サウナ気候】八王子アメダスは、●●●近くにある。
「太陽のまち~ はちおおじ~ ハッパキラキラキーラキラ」
盆踊りの定番「新八王子音頭~太陽おどり」にもあるように、八王子は「太陽の街」。
2018年7月には、八王子市の観測史上最高の39.3度を記録。内陸部の盆地という地形、さらにはヒートアイランド現象も相まって、近年八王子は「熱い街」として知られるようになりました。
その一方で、雪が降れば、テレビ中継されるのも八王子駅前。暑いわりには、雪がよく降る寒いところという先入観をお持ちの方も少なくないと思いますが、雪はめったに降りません。
ちなみに気象庁の観測地点「八王子アメダス」は八王子市役所の近くに設置されているそうです(調べてみたら、庁舎の裏手あたりのようでした)。
たしかに八王子は暑いですが、35度を超えれば、どこも似たりよったり。それを嘆くよりも、寒暖差の大きさを楽しみたいものです。
たとえば、夜、都心から帰ってきて高尾駅に降り立つと、森の香りが鼻をつきます。ひんやりした空気は明らかに都心のものとは違います。この癒やし効果は何物にもかえがたいものがあります。近年、流行りのサウナも寒暖差と外気浴を楽しむものだとすれば、八王子の気候はサウナ的ということもできるかもしれません。
★というわけで正解は「市役所」でした!
■【耐震のまち】地震に強いのは、硬い●●のおかげ。
八王子は地震に強いとよく言われます。じっさい東日本大震災のときも、大きな被害はなかったように思います。耐震において最も重要なのは、やはり地盤の硬さ。
硬い地盤を求めて、太平洋戦争末期、高尾に「地下壕」が建設されました。
この地下壕は、ゼロ戦製造で知られた中島飛行機の地下工場でしたが、当初は、ここが「大本営」となる予定でした。軍の中枢のみならず、政府関係、さらには天皇の遷座も想定されたといいます。
結局、大本営計画は信州松代で行われることになりましたが、かなり工事が進められて、その遺構は、今も一部見学することができます。
そんな防災自慢の八王子ですが、治安はどうでしょうか?
八王子駅北口の繁華街エリアは、以前、客引きやスカウトが多数たむろしていて、通り抜けるのにひと苦労したものです。2012年、迷惑防止条例によってそれが禁止されるようになりました。さらに2019年には、暴力団排除特別強化地域に指定されたこともあるのでしょう。一帯の雰囲気は、だいぶ良くなったことを実感します。
★というわけで正解は「岩盤」でした!
■【文化・芸術】
市内各所で、さまざまな行事やイベントが開催されていますが、まずは「八王子まつり」でしょう。
中学生のころ、浴衣を着て、友達と連れたって八王子まで行ったものです。
富士森公園で花火があがるので、それを見に行ったり。最近は、暑いのと人混みが苦手になってきて出向かなくなりましたが。
私の年代ですと、八王子の生んだ有名人としては、まずユーミンが挙げられます。松任谷由実さんの実家は、八日町にある「荒井呉服店」。
よく着物好きの祖母と母親と一緒に振袖を見に行きました。小物やショールを店員さんにアレンジしてもらい、成人式に行ったのは、懐かしい思い出です。こんどは娘の成人式かな。
もう一人は、サブちゃんこと、北島三郎さん。その豪邸は観光名所にもなっていて、私も見に行ったことがあります。高尾山薬王院への参道には、杉苗奉納者の名前がずらりと並んでいるのですが、ここでも目を引くのはサブちゃんです。いったいいくら寄付しているんでしょうか。おそらく何千万円レベルでしょうね。
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